村田沙耶香さんの最新作『世界99』が2025年3月5日に上下巻同時発売されました。3年以上にわたる「すばる」での長期連載を経て書籍化された本作は、著者初の長編ディストピア小説です。
主人公・如月空子の視点から描かれる物語は、コミュニティごとに人格を使い分ける「性格のない人間」の生き方と、謎の生き物「ピョコルン」が社会にもたらす変化を鮮烈に描き出しています。
本記事では『世界99 』のあらすじ、ネタバレ、そして作品の魅力を掘り下げていきます。
『世界99』の世界観と物語の全体像
村田沙耶香さんといえば、『コンビニ人間』で芥川賞を受賞し、『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞を受賞した実力派作家です。これまでの作品でも社会の枠組みや「普通」とされるものへの鋭い問いかけを続けてきましたが、『世界99』はそれらの集大成とも言える作品に仕上がっています。
上下巻各432ページという圧巻のボリュームで、村田さんの現時点での全てが詰め込まれた本作。「この世はすべて、世界に媚びるための祭り」という印象的な一文から始まり、読者を独特の世界観へと引き込みます。
村田沙耶香さんの初の長編ディストピア小説
『世界99』は村田さんにとって初めての長期連載作品であり、初の長編ディストピア小説です。当初は1年ほどで完結する予定だったものが、3年以上の連載期間を経て、上下巻という形で世に送り出されました。
村田さん自身も「毎月、その時々に考えていたことが小説に流れ込んで膨れていきました」と語るように、連載を重ねるごとに物語は深化し、複雑な層を形成していきました。結果として生まれたのは、これまでの短編で断片的に描かれてきたテーマを集約し、より詳細に掘り下げた大作です。
「性格のない人間」如月空子の生き方
主人公の如月空子は「性格のない人間」として描かれます。彼女には定まった性格も喜怒哀楽もなく、幼い頃からその場に応じて周囲が望みそうなキャラクターを演じることで生きてきました。
空子の特技は〈呼応〉と〈トレース〉。相手の顔色や口調、雰囲気を呼応し、それに見合う自分になりきるトレースを繰り返して、コミュニティごとに相応しい人格を作り上げていくのです。家では可愛くて素直な一人娘の「そらちゃん」、幼稚園では他の子どもたちの手本になる「空子お姉ちゃん」、学校では虐められないように浮かないように少しダサい「そらっち」と、場面ごとに異なる人格を使い分けています。
人格の使い分けと〈呼応〉〈トレース〉の能力
空子にとって、人格の使い分けは生存戦略そのものです。「自分を安全に保ち、いかに楽に暮らしていけるか」という指標だけを頼りに、彼女は様々な「世界」を渡り歩きます。
この能力は一見すると特殊に思えますが、実は私たち誰もが無意識のうちに行っていることでもあります。家庭での自分、学校や職場での自分、友人との自分—それぞれの場面で少しずつ異なる顔を見せながら生きているのではないでしょうか。空子の特殊性は、それを極端なまでに意識的に行っている点にあります。
コミュニティごとに適した人格を作り上げる技術
空子が人格を使い分ける技術は、まさに芸術的とも言えるほど洗練されています。彼女は相手の反応を細かく観察し、最も「安全」で「楽ちん」な振る舞いを選び取ります。
この技術は、村田さんの過去作品『生命式』の「孵化」のモチーフを彷彿とさせます。自分自身を空っぽにし、周囲の期待に応じて「孵化」させる—そんな生き方を極めた空子の姿は、現代社会を生きる私たちの姿を映し出す鏡でもあるのです。
物語の舞台設定と重要な要素
『世界99』の物語は、現実とも異なる独特の世界観の中で展開します。その中心にあるのが「ピョコルン」という謎の生き物の存在です。
謎の生き物「ピョコルン」の存在
ピョコルンは、ふわふわの白い毛、つぶらな黒い目、甘い鳴き声を持つ、どこをとってもかわいい生き物として描かれます。アルパカを思わせるような愛らしい外見を持ち、物語の序盤では単なるペットとして登場します。
しかし、この一見無害な生き物が、物語の進行とともに社会を大きく変えていく存在となっていくのです。ピョコルンの存在は、単なるSF的設定を超えて、人間社会の在り方そのものを問い直す装置として機能していきます。
当初はただのペットだった白い生き物
物語の序盤、ピョコルンは動物園でも人気の、ただの可愛いペットに過ぎません。空子の家にもピョコルンがやってきますが、その時点ではお金も管理も大変な、皆に羨ましがられる存在でしかありません。
父親は空子に何の不自由ない生活をさせるため、朝早くから夜遅くまで仕事をし、母親は家事をする道具としていいように使われている—そんな家庭環境の中で、ピョコルンは一種のステータスシンボルとして機能しています。
技術の進化とピョコルンの変貌
しかし時代の変化とともに、ピョコルンの存在意義は大きく変わっていきます。技術が進み、ピョコルンがある特殊な能力を備えるようになると、世の中は様相を一変させ始めるのです。
「性欲を。出産を。育児を。介護を。人生の時間を食いつぶす、あらゆる雑務を」—人々はこれらをピョコルンに「捨てる」ようになります。人間の欲望の捌け口として機能するようになったピョコルンは、社会構造そのものを変えていくのです。
複数の「世界」を生きる主人公
空子の人生は、彼女が行き来する複数の「世界」によって構成されています。それぞれの世界は、異なる価値観や人間関係によって特徴づけられています。
「世界①」地元の友人とのコミュニティ
空子が最も長く関わってきたのが「世界①」、地元の友人たちとのコミュニティです。ここでの空子は「そらっち」というキャラクターを演じています。浮かず、目立たず、でも完全に排除されることもない—そんな絶妙なポジションを確保するための人格です。
この世界での人間関係は、空子にとって「安全」であることが最優先事項です。誰かに嫌われたり、排除されたりするリスクを最小限に抑えるために、彼女は常に周囲の反応を観察し、最適な振る舞いを選択し続けます。
「世界②」豊かなライフスタイルを志向する人々
空子が成長するにつれて関わるようになる「世界②」は、より豊かなライフスタイルを志向する人々のコミュニティです。ここでの空子は、より洗練された自分を演出します。
この世界では、物質的な豊かさや見栄えの良さが重視されます。鼻の穴のホワイトニングなど、村田さんの過去作品『信仰』を思わせる描写も登場し、現代社会の消費文化への皮肉が込められています。
「世界③」”正しく”生きようとする人々の集まり
物語が進むにつれて空子が関わるようになる「世界③」は、”正しく”生きようとする人々の集まりです。ここでは、倫理的な生き方や社会貢献が重視されます。
「汚染物質を摂取して体内で無毒化する宗教的な意識高い系の世界」と表現されるこの世界は、一見理想的に見えながらも、その裏側には別の問題が潜んでいます。正しさを追求するあまり、人間性が失われていく様子が鋭く描かれているのです。
物語の展開と人間関係
『世界99』の物語は、空子を取り巻く人間関係を通じて展開していきます。特に重要なのが、空子と白藤遥の対比、そして音ちゃんという人物の存在です。
空子と白藤遥の対比
物語の中で、空子と対照的な存在として描かれるのが白藤遥です。遥は「正しさ」に生きることを信条とする人物で、空子とは幼い頃からの知り合いです。
遥の「正しさ」への執着は、時に危うさを孕んでいます。一方、空子は「安全」と「楽ちん」を指標にした生き方を選びます。この二人の対比は、物語全体を通じて重要なテーマとなっています。
「正しさ」に生きる白藤の危うさ
白藤遥の「正しさ」への執着は、時に他者を傷つけることもあります。彼女は自分の信じる価値観を絶対視し、それに合わない者を排除しようとする傾向があります。
この「正しさ」の危うさは、現代社会における「正義」の問題とも重なります。何が正しいのか、誰が決めるのか—そうした問いに対する明確な答えはなく、時代によって「正しさ」の基準は変わっていくのです。
空子の「安全」と「楽ちん」を指標にした生き方
対照的に、空子は「正しさ」よりも「安全」と「楽ちん」を優先します。彼女にとって大切なのは、自分が傷つかないこと、そして無駄なエネルギーを使わないことです。
この生き方は一見すると打算的に見えますが、実は現代社会を生き抜くための一つの知恵でもあります。空子は自分の本音や本心を持たないことで、社会の中で「安全」に生きる術を身につけたのです。
音ちゃんという重要人物の登場
物語の中で重要な役割を果たすもう一人の人物が「音ちゃん」です。彼女は空子よりも上手に「分裂」して生きる年下の女性として描かれます。
音ちゃんの特徴は「嘘をつかない」ことです。これは一見すると矛盾しているように思えます。複数の人格を使い分けながら、どうして嘘をつかないことができるのか?この謎は、物語の重要なポイントとなっています。
空子よりも上手に「分裂」して生きる年下の女性
音ちゃんは空子と同じように複数の人格を使い分けますが、その技術はより洗練されています。彼女は各「世界」での自分を完全に分離し、それぞれを独立した存在として扱うことができるのです。
この能力は、空子にとって憧れであると同時に、恐れでもあります。自分の中に確固たる核を持たない空子にとって、音ちゃんの存在は自分の生き方を問い直す鏡となるのです。
嘘をつかない音ちゃんの存在意義
音ちゃんが「嘘をつかない」と言えるのは、彼女がそれぞれの「世界」での自分を本物だと信じているからです。彼女にとって、それぞれの人格は演技ではなく、その瞬間の真実なのです。
この考え方は、現代社会における「本当の自分」とは何かという問いにも通じます。SNSでの自分、職場での自分、家庭での自分—どれが「本当の自分」なのでしょうか?音ちゃんの存在は、そうした問いを投げかけているのです。
社会の変容と人類の行方
『世界99』の物語は、個人の生き方を描くと同時に、社会全体の変容も鮮やかに描き出しています。特にピョコルンの存在が社会にもたらす変化は、現代社会への鋭い批評となっています。
ピョコルンがもたらす社会変化
ピョコルンは物語が進むにつれて、単なるペットから社会を変える存在へと変貌します。人々は次第に、自分たちの「面倒な部分」をピョコルンに委ねるようになるのです。
出産、育児、介護、そして性欲—人生の時間を食いつぶす様々な「雑務」や「汚い感情」が、ピョコルンによって代替されていきます。この変化は、一見すると人々の生活を楽にするように見えますが、実は人間性の本質的な部分を失わせる危険性も孕んでいるのです。
人間の欲望の捌け口としてのピョコルン
ピョコルンは人間の欲望の捌け口として機能します。人々は自分たちの中の「汚い」部分、「面倒」な部分をピョコルンに投影し、自分たちは「クリーン」であり続けようとするのです。
この構図は、現代社会における様々な「代替」や「アウトソーシング」の問題とも重なります。私たちは不快な感情や面倒な作業を他者や技術に委ねることで、表面的な「クリーン」さを保とうとしていないでしょうか?
技術進化がもたらす世界の様相変化
ピョコルンの技術的進化は、世界の様相を大きく変えていきます。特に「リセット」と呼ばれる出来事の後、社会は「人間リサイクルシステム」によって再生を迎えます。
この新たな社会では、人々は「クリーンな人」として美しく優しい世界を生きるようになります。しかし、その裏側には何が隠されているのでしょうか?表面的な平和と幸福の陰で失われていくものは何なのか—その問いが物語の核心部分となっています。
「クリーン・タウン」という舞台
物語の後半では、「クリーン・タウン」と呼ばれる街が重要な舞台となります。この街は「過去のない街」として描かれ、一見理想的でありながら、どこか不気味な無機質さを感じさせます。
49歳になった空子は、この「クリーン・タウン」の実家に戻り、白藤遥とその娘・波とともに暮らすようになります。表面上は穏やかで美しいこの社会の中心には、さらなる変貌を遂げたピョコルンがいるのです。
美しく優しい世界の裏側
「クリーン・タウン」に代表される美しく優しい世界の裏側には、何が隠されているのでしょうか?物語は、表面的な平和と幸福の陰で失われていくものの正体を徐々に明らかにしていきます。それは人間の本質的な部分、感情の機微や他者との関わりの中で生まれる摩擦や葛藤といった、生きることの本質に関わる部分なのかもしれません。
村田さんは、インタビューの中で「まっさらなところから生まれる、人間の行動や感情の動きを見てみたかった」と語っています。「クリーン・タウン」という「過去のない街」は、そうした人間の本質を観察するための実験室のような役割を果たしているのです。
作品の文学的価値と深層
『世界99』は単なるSF小説やディストピア小説の枠を超えた、現代社会への鋭い批評と人間存在の本質への問いかけを含んだ作品です。村田沙耶香さんの表現技法と、作品が持つ文学的価値について考えてみましょう。
村田沙耶香さんの表現技法
村田さんの文体は、一見シンプルでありながら、読者の心に鋭く刺さる独特の力を持っています。『世界99』においても、その特徴は遺憾なく発揮されています。
特に印象的なのは、日常的な出来事や何気ない会話の中に、突如として現れる違和感や恐怖です。例えば、空子の母親に対する態度は、日常の中の暴力性を浮き彫りにします。父親の態度をトレースしているのか、空子は母親を使用人のように扱い、その関係性の中に現代社会の歪みを映し出しているのです。
長期連載から生まれた重層的な物語構造
『世界99』は、村田さんにとって初めての長期連載作品です。当初は1年ほどで完結する予定だったものが、3年以上の連載期間を経て、上下巻という形で世に送り出されました。
この長期連載という形式が、作品に重層的な物語構造をもたらしています。村田さん自身も「毎月、その時々に考えていたことが小説に流れ込んで膨れていきました」と語るように、連載を重ねるごとに物語は深化し、複雑な層を形成していったのです。
SFとディストピア小説の融合
『世界99』は、SFとディストピア小説の要素を巧みに融合させた作品です。ピョコルンという架空の生物や「人間リサイクルシステム」といったSF的設定を用いながらも、その本質は人間社会や人間存在への深い洞察にあります。
村田さんは、SFという形式を借りながら、現代社会の問題点や人間の本質に迫っています。それは単なる未来予測ではなく、現在を生きる私たちへの警鐘でもあるのです。
感想・レビュー
『世界99』を読み終えた後、私の中に残ったのは言葉にしがたい余韻でした。それは単なる物語の面白さを超えた、自分自身の生き方や社会の在り方への問いかけでもあります。
人格の分裂と社会批評
空子の「性格のない」生き方は、現代社会を生きる私たちの姿を映し出す鏡のようです。SNSでの自分、職場での自分、家庭での自分—私たちは無意識のうちに、場面によって異なる「キャラクター」を演じているのではないでしょうか。
村田さんは、そうした現代人の分裂した生き方を極端な形で描くことで、その本質に迫っています。空子の生き方は一見すると病的に思えますが、実は私たち誰もが持っている側面を誇張したものに過ぎないのかもしれません。
そこには現代社会への鋭い批評も込められています。SNSでの自己表現や、職場でのペルソナ、家庭での役割—私たちは様々な「世界」の中で、それぞれに適した「自分」を演じることを求められています。そうした社会の圧力が、人間の本質をどのように歪めているのか、村田さんはその問いを投げかけているのです。
現代社会への鋭い洞察
『世界99』の中で描かれる社会の変容は、現代社会の延長線上にあるものとして説得力を持っています。特に、ピョコルンに「捨てる」ようになった「性欲」「出産」「育児」「介護」といった要素は、現代社会における様々な「代替」や「アウトソーシング」の問題と重なります。
私たちは技術の進化によって、様々な「面倒」から解放されつつあります。家事代行サービスやAI技術の発展は、一見すると私たちの生活を楽にするように見えますが、その過程で失われていくものも少なくありません。村田さんは、そうした現代社会の傾向を極端な形で描くことで、その本質的な問題点を浮き彫りにしているのです。
また、「クリーン・タウン」に象徴される「過去のない街」という設定には、現代社会における「記憶の喪失」の問題も反映されています。SNSの普及によって、私たちは膨大な情報に囲まれながらも、本質的な記憶や歴史との繋がりを失いつつあるのではないでしょうか。村田さんはそうした問題にも鋭く切り込んでいます。
まとめ
村田沙耶香さんの『世界99』は、単なるSF小説やディストピア小説の枠を超えた、現代社会への鋭い批評と人間存在の本質への問いかけを含んだ傑作です。「性格のない人間」如月空子の生き方を通して、私たちは自分自身の生き方や社会の在り方を問い直すことができます。
ピョコルンという存在が象徴する「代替」や「アウトソーシング」の問題、「クリーン・タウン」が象徴する「記憶の喪失」の問題など、作品は現代社会の様々な側面に鋭く切り込んでいます。それは単なる未来予測ではなく、現在を生きる私たちへの警鐘でもあるのです。
『世界99』は、村田さんの過去作品の集大成でありながら、新たな境地を切り開いた作品と言えるでしょう。上巻だけでもその魅力は十分に伝わってきますが、下巻も含めた全体像を味わうことで、より深い読書体験が得られるはずです。現代社会を生きる私たちにとって、必読の一冊と言えるでしょう。



