ハーバード大学で空前の人気を誇るマイケル・サンデル教授の「正義」の講義が一冊の本になりました。
- トロッコ問題
- 便乗値上げの是非
など身近な例を通して「正しさ」とは何かを問いかけます。
サンデル教授の思想を解説しながら、この本から得られる気づきについてまとめました。
本書の概要
マイケル・サンデル教授のハーバード大学での講義「正義(JUSTICE)」は、毎年1000人以上の学生が受講する人気講座です。
日本でもNHKの「ハーバード白熱教室」として放送され、社会現象となりました。
この本はその講義内容をベースに、より深く「正義」について考察したものです。
サンデル教授は、私たちが日常生活で感じる「それって本当に正しいの?」という疑問に、哲学の視点から答えを模索します。
例えば
災害後に商品を通常の何倍もの価格で売る「便乗値上げ」は許されるのか。市場原理からすれば需要と供給のバランスで価格が決まるのは当然ですが、多くの人はそこに「不正義」を感じます。なぜでしょうか。
正義を考える3つの視点
サンデル教授は「正義」を考える際の3つの主要なアプローチを提示しています。
1つ目は「功利主義」です。
これは「最大多数の最大幸福」を目指す考え方で、ベンサムやミルといった哲学者が提唱しました。
行為の結果として生じる幸福や効用を最大化することが正しいとする立場です。
2つ目は「自由主義」です。
これはさらに「リバタリアニズム(自由至上主義)」と「リベラリズム(平等を重視する自由主義)」に分けられます。
前者は個人の選択の自由を最重視し、後者は公正な機会均等を重視します。
3つ目は「共同体主義」です。
これはアリストテレスの思想を源流とし、サンデル教授自身が支持する立場です。
共通善や美徳を重視し、社会の一員としての責任や連帯を強調します。
現代社会の問題に哲学がどう関わるか
本書の魅力は、古代ギリシャから現代までの哲学思想を、現実の社会問題と結びつけて考察している点です。
リーマンショック後の金融危機、格差社会、戦争における兵士の勲章の問題など、具体的な事例を通して「正義」を考えます。
サンデル教授は、現代社会では「市場原理」や「個人の自由」が過度に重視され、共同体の価値や連帯が失われつつあると指摘します。
彼は哲学が単なる机上の空論ではなく、私たちの日常生活や社会のあり方に深く関わるものだと主張しています。
第1章 正しいことをする
トロッコ問題から考える道徳的ジレンマ
本書は有名な思考実験「トロッコ問題」から始まります。
暴走するトロッコが5人の作業員に向かって進んでいます。あなたがレバーを引けば、トロッコは別の線路に切り替わり、そこにいる1人の作業員を轢いてしまいます。レバーを引くべきでしょうか?
多くの人は「5人を救うために1人を犠牲にする」選択をするでしょう。これは功利主義的な考え方です。しかし、もし橋の上から太った人を突き落として5人を救う選択肢があったら?ほとんどの人はこれを拒否します。なぜ同じ「1人の犠牲で5人を救う」という結果なのに、私たちの直感的判断は異なるのでしょうか。
サンデル教授はこのような思考実験を通して、私たちの道徳的直感が単純な功利計算だけでは説明できないことを示します。
災害後の便乗値上げは正義か不正義か
2004年、フロリダをハリケーン・チャーリーが襲った際、一部の業者は商品やサービスの価格を何倍にも引き上げました。通常2ドルの氷が10ドルで売られ、宿泊料は4倍に跳ね上がりました。
市場原理からすれば、需要が急増すれば価格が上がるのは自然なことです。しかし、多くの人はこうした「便乗値上げ」に怒りを感じます。これは単なる感情的反応ではなく、「不正義」への道徳的反応だとサンデル教授は指摘します。
災害時に互いに助け合うべき時に、他者の不幸に乗じて利益を得ようとする行為は、共同体の連帯や相互扶助の価値を損なうからです。ここに、功利主義や市場原理だけでは捉えきれない「正義」の側面があります。
第2章 最大幸福原理―功利主義
ベンサムの「最大多数の最大幸福」
功利主義の創始者ジェレミー・ベンサムは、「最大多数の最大幸福」を道徳の原理としました。ある行為が正しいかどうかは、その行為がもたらす快楽と苦痛の総量によって決まるという考え方です。
ベンサムにとって、道徳的に重要なのは「結果」だけです。動機や意図ではなく、行為の結果として生じる幸福の総量が最大化されるなら、その行為は正しいとされます。
この考え方は一見合理的ですが、様々な問題をはらんでいます。例えば、多数の人々の小さな幸福のために、少数の人々に大きな苦痛を与えることが正当化されてしまう可能性があります。
功利主義の限界:幸福を単一の尺度で測れるのか
功利主義のもう一つの問題点は、あらゆる価値や幸福を単一の尺度で測ろうとする点です。ベンサムは「快楽計算」を提唱し、快楽と苦痛を量的に測定できると考えました。
しかし、サンデル教授は「人間の幸福や価値は単一の尺度で測れるほど単純ではない」と指摘します。例えば、シェイクスピアを読む知的喜びと、単純なゲームを楽しむ快楽は、同じ「幸福」として比較できるでしょうか?
また、功利主義は個人の権利や尊厳を軽視する危険性もあります。多数の人々の幸福のためなら、少数の人々の権利を侵害してもよいという結論になりかねないのです。
第3章 私は私のものか?―リバタリアニズム
自由至上主義の基本原理
リバタリアニズム(自由至上主義)は、個人の自由と権利を最重視する立場です。代表的な論者であるロバート・ノージックは「自己所有権」の概念を強調しました。つまり、各人は自分自身と自分の労働の成果を所有する権利があるという考え方です。
リバタリアンは、たとえ社会全体の幸福を増大させるためであっても、個人の権利を侵害することは許されないと主張します。例えば、富の再分配のための課税は、個人の所有権を侵害する「強制的な労働の搾取」だと見なします。
個人の選択と自己所有権
リバタリアニズムの魅力は、個人の選択の自由を徹底して尊重する点にあります。例えば、臓器売買や代理出産などの問題について、リバタリアンは「合意に基づく自由な取引である限り、他者が干渉すべきではない」と主張します。
しかし、サンデル教授はこうした見方にも問題があると指摘します。例えば、極度の貧困ゆえに臓器を売らざるを得ない人の「選択」は、本当に自由な選択と言えるでしょうか?また、人間の身体や生殖能力を商品化することは、人間の尊厳を損なう可能性があります。
リバタリアニズムは個人の自由を守る強力な理論ですが、社会的連帯や共通善の視点が欠けているとサンデル教授は批判します。
第4章 雇われ助っ人―市場と倫理
市場原理と道徳的価値の衝突
現代社会では、かつては市場の論理が適用されなかった領域にも、お金による取引が広がっています。例えば、臓器移植、代理出産、軍事サービスの民間委託などです。
サンデル教授は、こうした「市場化」の拡大が道徳的価値を損なう可能性を指摘します。例えば、子どもに本を読ませるためにお金を払うと、読書の内在的価値(知識や喜びのために読む)が損なわれ、単なる金銭的報酬のための手段になってしまいます。



