イギリス・ブライトンを舞台に、日本人の母とアイルランド人の父を持つ少年が「元底辺中学校」で直面する多様性と葛藤の日々を描いたノンフィクション。
著者ブレイディみかこさんと息子の実体験を基に、
- 人種
- 階級
- アイデンティティ
といった現代社会の縮図を、等身大の視点で鮮やかに切り取った作品です。
2019年に本屋大賞ノンフィクション部門を受賞
多くの読者の心を掴んだこの物語は、私たちに「他者の靴を履く」ことの大切さを教えてくれます。
作品概要
著者プロフィール
ブレイディみかこさんは1965年、福岡県福岡市に生まれました。
県立修猷館高校を卒業後、音楽への情熱から渡英と帰国を繰り返し、1996年からイギリスのブライトンに定住しています。
日本にいた頃からパンクミュージックに傾倒し、特にジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)に強く影響を受けたといいます。
ロンドンの日系企業で勤務した後、イギリスで保育士の資格を取得。
自身が「最底辺保育所」と呼ぶ場所で働きながらライター活動を始めました。その経験は後の著作に色濃く反映されています。
出版背景と受賞歴
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は2019年6月に新潮社から刊行されました。この作品は、著者と息子の実体験をもとにしたノンフィクションで、イギリスの教育現場や多文化社会の現実を等身大の視点で描いています。
出版後、本作は第2回本屋大賞ノンフィクション本大賞、第73回毎日出版文化賞特別賞、第7回ブクログ大賞(エッセイ・ノンフィクション部門)など、数々の賞を受賞しました。多くの読者に支持され、日本社会における多様性や教育について考えるきっかけを提供した作品として高く評価されています。
作品の位置づけ
本作は、ブレイディさんのそれまでの著作の流れを汲みつつも、より個人的な視点から社会問題に切り込んだ点が特徴的です。2017年に『子どもたちの階級闘争』で新潮ドキュメント賞を受賞した著者は、イギリス社会の階級問題や労働者の現実を描く作品を多く発表してきました。
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、そうした社会的テーマを、母と子という親密な関係性を通して描き出しています。社会批評でありながら、親子の成長物語としても読める重層的な作品として、ブレイディさんの著作の中でも重要な位置を占めています。

物語の舞台設定
イギリス・ブライトンという街
物語の舞台となるブライトンは、イギリス南部の海岸沿いに位置する中規模の都市です。ロンドンから電車で約1時間の距離にあり、観光地としても知られています。しかし、この街は単なる風光明媚な場所ではなく、多様な人種や階級が入り混じる社会の縮図でもあります。
ブライトンは芸術や音楽のシーンが活発で、リベラルな雰囲気を持つ街として知られています。同時に、イギリス社会の階級格差や移民問題といった現実も色濃く反映されている場所です。著者はそんなブライトンに20年以上住み続け、その変化を見つめてきました。
「元・底辺中学校」の実態
物語の中心となる学校は、「元底辺中学校」と表現されています。かつては問題を抱え、学力も低迷していた公立中学校が、新しい校長の方針転換によって生まれ変わりつつある様子が描かれています。
この学校の特徴は、音楽や演劇活動を重視するカリキュラムです。音楽室の奥にはレコーディングスタジオまで備えられており、生徒たちの創造性を育む環境が整えられています。こうした方針転換により、学校のランキングも底辺から中位へと上昇し、「元」底辺中学校と呼ばれるようになったのです。
しかし、依然として様々な問題を抱える生徒たちが通う学校であり、貧困や差別といった社会問題が凝縮された場でもあります。
多様性が交錯する学校環境
「元底辺中学校」の最大の特徴は、その多様性にあります。白人労働者階級の子どもたちが多数を占める一方で、様々な国からの移民の子どもたちも通っています。中国系の生徒が生徒会長を務める一方で、ハンガリー移民の家庭出身でありながら人種差別的な考えを持つ生徒もいるなど、単純な図式では捉えられない複雑な人間関係が存在しています。
また、経済的な格差も顕著です。給食費や制服代にも事欠く家庭の子どもがいる一方で、比較的裕福な家庭の子どもも通っています。こうした多様性は時に対立を生み出しますが、同時に互いを理解する機会にもなっています。
この学校環境は、グローバル化が進む現代社会の縮図とも言えるでしょう。異なるバックグラウンドを持つ人々が共存する中で、どのように理解し合い、共に生きていくかという課題が、学校という小さな社会の中で展開されているのです。
登場人物紹介
「ぼく」の人物像
物語の主人公である「ぼく」は、日本人の母とアイルランド人の父を持つ少年です。タイトルにある「イエローでホワイト」とは、このミックスのルーツを表現しています。小学校時代はカトリック系のエリート校に通い、優等生として過ごしてきました。
「ぼく」は繊細で知的好奇心が強く、物事を深く考える性格です。新しい環境である「元底辺中学校」では、これまでとは異なる価値観や文化に戸惑いながらも、自分なりに理解しようと努めています。時に「ちょっとブルー」になりながらも、多様な環境の中で自分のアイデンティティを模索する姿が描かれています。
特筆すべきは、「ぼく」の持つエンパシー(共感能力)の高さです。「他者の靴を履いてみること」という表現で、相手の立場に立って考えることの大切さを理解しています。この能力は、多様な環境の中で生きていく上での重要な武器となっています。
パンクな「母ちゃん」ブレイディみかこさん
「母ちゃん」こと著者のブレイディみかこさんは、福岡の貧困家庭出身の「元ヤンキー」です。頭が良かったため県内有数の進学校に進みましたが、10代からパンク音楽に傾倒し、卒業後は音楽への情熱から渡英しました。
彼女は型破りで自由な発想を持ち、息子に対しても既成概念にとらわれない教育を心がけています。保育士として働きながら、ライターとしても活動するシングルマザーとして、忙しい日々を送っています。
「母ちゃん」の特徴は、息子との対話を重視する姿勢です。学校であった出来事や社会問題について、息子と真剣に向き合い、時に自分の考えを押し付けることなく、息子自身が考えるきっかけを提供しています。彼女自身も息子との対話を通じて成長していく様子が描かれています。
アイルランド人の父親
「ぼく」の父親はアイルランド出身のトラックドライバーです。物語の中では直接的な登場場面は少ないものの、「ぼく」のアイデンティティ形成に重要な影響を与えています。
銀行をリストラされた後、子どもの頃からの夢だったダンプカーの運転手に転職したという経歴を持ち、実直な労働者として描かれています。「母ちゃん」とは別居していますが、「ぼく」との関係は良好で、定期的に会っている様子がうかがえます。
父親のアイルランド人としてのルーツは、「ぼく」が自分のアイデンティティについて考える際の重要な要素となっています。
印象的なクラスメイトたち
「元底辺中学校」には様々なバックグラウンドを持つ生徒たちが通っています。中でも印象的なのは、「ぼく」と対立関係になるダニエルという少年です。当初は「ぼく」に対して人種差別的な発言をするダニエルですが、物語が進むにつれて二人の関係性は変化していきます。
また、中国系の生徒会長や、貧困家庭出身でありながら才能を発揮する生徒たちなど、多様な背景を持つクラスメイトたちが登場します。彼らとの交流を通じて、「ぼく」は多様性の中で生きることの意味を学んでいきます。
これらのクラスメイトたちは単なる脇役ではなく、それぞれが独自の物語を持ち、「ぼく」の成長に影響を与える重要な存在として描かれています。
あらすじ・ストーリー展開
カトリック系小学校から公立中学へ
物語は、「ぼく」がカトリック系のエリート小学校から、公立の「元底辺中学校」へと進学するところから始まります。この進学先の選択は、「ぼく」自身の意思によるものでした。市の学校ランキングでトップだった小学校から、かつては底辺だった中学校へという選択は、周囲からは意外に思われましたが、「ぼく」は音楽や演劇活動に力を入れるこの学校の方針に魅力を感じていました。
新しい環境での最初の日々は、文化的なショックの連続でした。エリート小学校とは異なる言葉遣いや行動パターン、校則の緩さなど、「ぼく」はこれまでの常識が通用しない世界に戸惑います。しかし、次第に新しい環境に適応していく様子が描かれています。
人種差別との初めての遭遇
「元底辺中学校」での生活の中で、「ぼく」は初めて直接的な人種差別を経験します。小学校時代は中流階級以上の家庭の生徒が多く、様々な人種の子どもたちがいましたが、差別的な言動はほとんどありませんでした。しかし中学校では、「ぼく」のアジア系の外見を理由にからかわれることがあります。
特に印象的なのは、クラスメイトのダニエルとの対立です。ダニエルは「ぼく」に対して差別的な発言をすることがありましたが、学校側はそうした行為に厳しく対応していました。「元」底辺中学校と呼ばれるようになった理由の一つは、こうした差別問題に積極的に取り組む姿勢にあります。
「ぼく」は差別に直面しながらも、単に怒りや悲しみに閉じこもるのではなく、なぜそうした言動が生まれるのかを考え、理解しようとする姿勢を見せます。
思春期特有の悩みと成長
中学生になった「ぼく」は、人種や文化の問題だけでなく、思春期特有の悩みも抱えています。友人関係や学業のプレッシャー、自分の将来への不安など、多くの中学生が経験する成長の痛みが描かれています。
特に印象的なのは、「ぼく」が自分のアイデンティティについて悩む場面です。日本人とアイルランド人のミックスである「ぼく」は、日本では「ハーフ」と呼ばれることに違和感を覚えています。「ハーフ」という言葉が「半分」を意味することへの疑問や、自分のルーツをどう捉えるべきかという問いは、多くの読者の心に響くものでしょう。
こうした悩みを「母ちゃん」と対話しながら乗り越えていく過程は、親子の成長物語としても読み応えがあります。
多様性の中での葛藤
「元底辺中学校」は、まさに多様性の縮図です。異なる人種、文化、経済状況の生徒たちが共存する中で、「ぼく」は様々な葛藤を経験します。時に対立や誤解が生じることもありますが、それらを通じて相互理解が深まっていく様子が描かれています。
特に印象的なのは、クリスマスコンサートでの出来事です。上級生たちが自分たちの貧困状況をラップにして歌うという場面は、社会問題を創造的に表現する力強さを感じさせます。「万国の万引きたちよ、団結せよ」という歌詞に、教員たちが誇らしげな表情を見せる様子は、この学校の特異性を象徴しています。
「ぼく」はこうした環境の中で、単に自分と似た者同士で固まるのではなく、異なる背景を持つ人々と交流し、理解を深めていきます。その過程は時に困難を伴いますが、「ぼく」の視野を広げ、成長させる重要な経験となっています。
作品の主要テーマ
人種とアイデンティティ
本作の中心的なテーマの一つが、人種とアイデンティティの問題です。日本人の母とアイルランド人の父を持つ「ぼく」は、自分のルーツやアイデンティティについて考え続けています。日本では「ハーフ」と呼ばれることへの違和感や、イギリスでは時に「外国人」として見られる経験など、「ぼく」のアイデンティティは単純に定義できるものではありません。
特に印象的なのは、「ハーフ」という言葉についての考察です。「ぼく」は「ハーフ」が「半分」を意味することに違和感を覚え、自分は「ハーフアンドハーフ」であり、二つの文化を持つことは欠けているのではなく、豊かさであると考えています。
また、人種差別の問題も重要なテーマとして扱われています。「ぼく」が経験する差別や偏見は、現代社会における人種問題の一端を示しています。しかし、本作はただ差別を告発するだけではなく、その背景にある社会構造や個人の心理にも目を向けています。
階級社会イギリスの現実
イギリスの階級社会の現実も、本作の重要なテーマです。「元底辺中学校」には様々な階級の家庭の子どもたちが通っており、その経済格差は学校生活の様々な場面で表れています。給食費や制服代に事欠く家庭の子どもがいる一方で、比較的裕福な家庭の子どももいます。
著者は以前の著作『子どもたちの階級闘争』でも取り上げたように、イギリスの階級社会は非常に根深いものです。かつて「ゆりかごから墓場まで」と称された福祉国家イギリスは、サッチャー政権以降の新自由主義政策によって大きく変容しました。緊縮財政や福祉削減によって、格差は拡大し、社会の分断が進んでいます。
「元底辺中学校」の生徒たちの多くは白人労働者階級の家庭出身です。彼らの中には、給食費や制服代にも事欠くほどの貧困状態にある家庭の子どももいます。特に印象的なのは、ボロボロの制服を着ている生徒に対して、「ぼく」がどう手を差し伸べるべきか悩む場面です。単に新しい制服を買ってあげるだけでは、相手のプライドを傷つける可能性があります。こうした繊細な問題に対して、「ぼく」は真剣に向き合います。
また、階級問題は単に経済的な格差だけではなく、文化的な側面も持っています。言葉遣いや価値観、将来への展望など、階級によって大きく異なる部分があります。「ぼく」はそうした違いに戸惑いながらも、理解しようと努めています。
ジェンダーと多様性
本作ではジェンダーの問題も重要なテーマとして扱われています。特に印象的なのは、サッカーが好きな女の子の話です。彼女は男子チームでプレーしたいと願っていましたが、思春期に入り、男女の身体的な差が顕著になってくると、それが難しくなります。この女の子の葛藤は、ジェンダーの壁に直面する多くの子どもたちの現実を象徴しています。
また、LGBTQの生徒たちの存在も自然な形で描かれています。「元底辺中学校」では、性的マイノリティの生徒に対するいじめや差別を許さない環境づくりが進められています。教師たちは生徒たちに多様性を尊重する姿勢を教えており、それは学校全体の雰囲気にも表れています。
「ぼく」自身も、ジェンダーや性的指向についての固定観念から自由になろうと努めています。母親との対話を通じて、「男らしさ」や「女らしさ」といった概念について考え、より柔軟な視点を持つようになっていく様子が描かれています。
子どもたちの柔軟な思考力
本作の中で特に印象的なのは、子どもたちの柔軟な思考力です。大人が固定観念にとらわれがちな問題に対して、子どもたちはしばしば驚くほど斬新な視点を持っています。
「ぼく」は特に、「他者の靴を履く」という表現で、相手の立場に立って考えることの大切さを理解しています。これは単なる共感ではなく、自分とは異なる背景や価値観を持つ人の視点から世界を見る能力です。
また、子どもたちは大人が思うよりも世界の問題を背負って生きています。貧困や差別、環境問題など、大きな社会問題に対しても自分なりの考えを持ち、行動しようとする姿勢が描かれています。
特に印象的なのは、クリスマスコンサートでの上級生たちのパフォーマンスです。彼らは自分たちの置かれた厳しい状況をラップにして表現し、「万国の万引きたちよ、団結せよ」という過激な歌詞で社会批判を行います。これは単なる反抗ではなく、創造的な表現を通じた社会への問いかけであり、子どもたちの思考の深さを示しています。
印象的なエピソード
ダニエルとの対立と和解
物語の中で特に印象的なのは、「ぼく」とクラスメイトのダニエルとの関係性です。当初、ダニエルは「ぼく」に対して人種差別的な発言をすることがありました。「チンク」という東洋人を蔑む言葉で「ぼく」を呼んだり、日本人であることをからかったりしていました。
しかし、「ぼく」はただ怒るのではなく、なぜダニエルがそのような言動をするのかを理解しようと努めます。次第に二人の関係は変化し、互いを理解し合うようになっていきます。特に印象的なのは、ダニエルが実は複雑な家庭環境にあり、自分自身も様々な問題を抱えていることが明らかになる場面です。
この和解のプロセスは、単に「差別は悪い」という単純な教訓ではなく、人間関係の複雑さと、対話を通じた相互理解の可能性を示しています。「ぼく」とダニエルの関係は、多様性の中で共存するための一つのモデルとも言えるでしょう。
日本人としてのアイデンティティ
「ぼく」は日本人の母とアイルランド人の父を持つミックスのルーツを持っていますが、自分のアイデンティティについて常に考え続けています。特に印象的なのは、日本を訪れた際の経験です。
日本では「ハーフ」と呼ばれることに違和感を覚え、時には「YOUは何しに日本へ?」と声をかけられることもあります。一方、イギリスでは「チンク」と呼ばれることもあります。「ぼく」はどこにも完全には帰属できない感覚を持っていますが、次第にそれを欠点ではなく、独自の視点を持つ強みとして捉えるようになっていきます。
この「どこにも完全には属さない」という感覚は、グローバル化が進む現代社会で多くの人が共感できるものでしょう。「ぼく」の葛藤と成長は、アイデンティティの多様性を考える上で重要な示唆を与えてくれます。
学校行事を通した成長
物語の中では、様々な学校行事が「ぼく」の成長の場となっています。特に印象的なのは、前述のクリスマスコンサートです。このコンサートでは、生徒たちが自分たちの置かれた状況や社会問題について歌やラップで表現します。
また、ミュージカルの制作過程も重要なエピソードです。「元底辺中学校」では音楽や演劇活動に力を入れており、生徒たちは創造的な表現を通じて自分の考えや感情を表現する機会を得ています。「ぼく」もこうした活動に参加することで、自信を深め、新たな友人関係を築いていきます。
これらの学校行事は単なるイベントではなく、生徒たちの成長と相互理解を促す重要な場となっています。多様なバックグラウンドを持つ生徒たちが共同作業を通じて絆を深めていく様子は、多文化共生の可能性を示唆しています。
母と子の対話の深まり
本作の中核をなすのは、「ぼく」と「母ちゃん」の対話です。思春期に入った「ぼく」は、学校での出来事や自分の考えを「母ちゃん」に話すようになります。そして「母ちゃん」は、息子の話に耳を傾け、時に自分の考えを伝えながらも、基本的には息子自身が考え、判断することを尊重します。
特に印象的なのは、「ぼく」が学校で直面した問題について話し合う場面です。人種差別や貧困、ジェンダーの問題など、複雑な社会問題について、母子は真剣に向き合います。「母ちゃん」は自分の経験や知識を伝えながらも、「ぼく」自身の考えを尊重し、成長を見守ります。
この対話の過程は、親子関係の理想的な形を示しています。「母ちゃん」は「ぼく」に正解を教えるのではなく、共に考え、時には「ぼく」から学ぶ姿勢を持っています。こうした対話を通じて、母子の関係はより深く、対等なものへと変化していきます。
作品の文体と構成
等身大の視点で描かれる日常
本作の大きな魅力は、等身大の視点で描かれる日常の風景です。著者は決して上から目線で社会問題を論じるのではなく、「ぼく」と「母ちゃん」の日常生活の中で自然に浮かび上がる問題として描いています。
朝の忙しい時間、学校への送り迎え、夕食の準備など、日常の些細な場面が生き生きと描かれています。そうした日常の中で、人種や階級、ジェンダーといった大きなテーマが自然な形で語られていきます。
この等身大の視点は、読者が自分自身の日常と重ね合わせながら考えることを可能にします。遠い国の抽象的な問題ではなく、具体的な人間の姿を通して社会問題を考えることができるのです。
大きな社会問題と身近な出来事の融合
本作のもう一つの特徴は、大きな社会問題と身近な出来事が見事に融合している点です。イギリスの階級社会や人種問題、グローバル化の影響といった大きなテーマが、学校での友人関係や家庭での会話といった身近な出来事を通して描かれています。
例えば、クラスメイトの制服が古びていることから貧困問題が浮かび上がり、給食時間の会話から移民問題が語られるといった具合です。こうした描写は、社会問題が抽象的な概念ではなく、実際の人々の生活に直接影響を与えていることを実感させます。
また、著者は決して一方的な主張をせず、様々な立場や視点を提示します。これにより、読者は自分自身で考え、判断することを促されます。
読みやすさと深い洞察の両立
本作の文体は非常に読みやすく、親しみやすいものです。専門用語や難解な表現を避け、日常的な言葉で複雑な問題を描いています。特に「母ちゃん」と「ぼく」の会話は自然で生き生きとしており、読者を物語の中に引き込みます。
しかし、その読みやすさの中に、深い洞察と鋭い社会批評が込められています。著者は単に面白いエピソードを並べるだけではなく、その背後にある社会構造や人間の心理を鋭く分析しています。
この読みやすさと深い洞察の両立が、本作が多くの読者に支持される理由の一つでしょう。専門家だけでなく、幅広い読者が楽しみながら社会問題について考えることができる作品となっています。
感想・レビュー
多様性を考えるきっかけとしての価値
この作品を読んで最も印象に残ったのは、多様性について考えるきっかけを与えてくれる点です。人種、階級、ジェンダー、文化的背景など、様々な違いを持つ人々が共存する現代社会において、どのように理解し合い、共に生きていくかという問いは、私たち一人ひとりに突きつけられています。
特に「他者の靴を履く」という表現は心に残りました。自分とは異なる背景や価値観を持つ人の立場に立って考えることの大切さを、「ぼく」の成長を通して教えてくれます。これは単なる共感ではなく、自分の常識や価値観を一度脇に置き、異なる視点から世界を見る能力です。
私自身、この本を読んで、自分の中にある無意識の偏見や思い込みに気づかされました。「当たり前」と思っていたことが、実は特定の文化や階級の視点に基づいていることに気づき、より広い視野で物事を見るきっかけとなりました。
リアルな子育て描写の魅力
本作のもう一つの魅力は、リアルな子育ての姿を描いている点です。「母ちゃん」は完璧な親ではなく、時に迷い、悩み、失敗もします。しかし、そうした中でも「ぼく」との対話を大切にし、互いに成長していく姿は、多くの親子関係の参考になるでしょう。
特に印象的なのは、「母ちゃん」が「ぼく」に正解を教えるのではなく、共に考え、時には「ぼく」から学ぶ姿勢を持っている点です。思春期の子どもとの関係に悩む親にとって、この対等な関係性は一つのモデルになると感じました。
また、子どもの成長を見守る喜びと不安、親としての責任と子どもの自立のバランスなど、子育ての本質的な部分が描かれています。これは単なる「ハウツー」ではなく、親子関係の本質に迫るものだと思います。
日本社会への示唆
イギリス社会を舞台にした物語ですが、日本社会にも多くの示唆を与えてくれます。日本も急速にグローバル化が進み、多様な背景を持つ人々が共存する社会になりつつあります。その中で、どのように相互理解を深め、共生していくかという課題は、日本社会にとっても重要なテーマです。
特に教育の場における多様性の扱い方は参考になります。「元底辺中学校」では、生徒たちの多様な背景を尊重しながらも、共通の価値観を育む教育が行われています。日本の学校教育においても、多様性を尊重しながら、共に学び、成長できる環境づくりが求められているのではないでしょうか。
また、階級社会イギリスの現実は、日本の格差問題を考える上でも示唆に富んでいます。表面上は平等に見える日本社会でも、実際には経済格差や教育格差が広がっています。そうした問題に向き合い、解決策を考える上で、本作は重要な視点を提供してくれます。
文体と構成の巧みさ
著者の文体と構成の巧みさも特筆すべき点です。複雑な社会問題を、読みやすく親しみやすい文体で描き出す技術は見事としか言いようがありません。専門用語や難解な表現を避けながらも、深い洞察と鋭い社会批評を込めている点に、著者の力量を感じます。
また、エピソードの選び方と配置も絶妙です。笑いと涙、怒りと共感、様々な感情を呼び起こすエピソードが、読者を飽きさせることなく物語に引き込みます。特に「ぼく」と「母ちゃん」の会話は、自然でありながらも深い洞察に満ちており、読者の思考を刺激します。
さらに、重いテーマを扱いながらも決して説教臭くならず、読者自身が考えるきっかけを提供している点も素晴らしいと思います。著者の主張を押し付けるのではなく、様々な視点を提示し、読者の判断に委ねる姿勢は、真の意味での「対話」を生み出しています。
まとめ
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、単なる子育てエッセイや社会批評にとどまらない、現代社会を生きるすべての人に贈る珠玉の物語です。日本人の母とアイルランド人の父を持つ少年が、多様性あふれるイギリスの「元底辺中学校」で経験する日常を通して、人種、階級、ジェンダー、アイデンティティといった現代社会の重要なテーマを等身大の視点で描き出しています。
著者のブレイディみかこさんは、複雑な社会問題を読みやすく親しみやすい文体で描き、読者に自分自身の価値観や常識を見つめ直す機会を提供しています。特に「他者の靴を履く」というエンパシーの概念は、多様性が増す現代社会において、私たち一人ひとりが持つべき姿勢を示唆しています。
この作品が多くの読者の心を掴み、数々の賞を受賞したのは、その普遍的なメッセージと、親子の成長を温かく見守る視点があるからでしょう。思春期の子どもとの関わり方に悩む親、多様な社会で自分の居場所を探す若者、そして現代社会の課題に向き合うすべての人に、この作品は新たな視点と希望を与えてくれるはずです。