「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」要約・ネタバレ・感想・レビュー(著:川内有緒)

「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」要約・ネタバレ・感想・レビュー(著:川内有緒)
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川内有緒さんのノンフィクション作品「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」は、全盲の白鳥建二さんと美術館を巡る旅を描いた心温まる物語です。

友人の一言から始まった美術館巡りを通して、「見る」とは何か、アートの本質とは何かを問いかけます。

白鳥さんの独自の鑑賞法や人生観を通して、私たちが当たり前と思っていた「見る」という行為に新たな視点をもたらしてくれる作品です。2022年の大宅壮一ノンフィクション賞候補にもなった注目の一冊を紹介します。

目次

全盲の白鳥さんとアート鑑賞の旅

友人の一言から始まった美術館巡り

「白鳥さんと作品を見るとほんとに楽しいよ!」

この友人マイティの何気ない一言が、川内有緒さんと全盲の白鳥建二さんとのアート鑑賞の旅の始まりでした。最初は半信半疑だったかもしれません。目の見えない人と美術館に行くなんて、どんな意味があるのだろう。そんな疑問を抱きながらも、川内さんは白鳥さんとの美術館巡りに出かけることになります。

白鳥建二さんは51歳の全盲の方です。幼少期はわずかながら視力があり、公立小学校に通っていましたが、視力は徐々に弱まり、小学校3年生で盲学校に転校しました。20歳くらいまでは光を感じることができたそうですが、やがて完全に視力を失いました。

白鳥さんが美術と出会ったのは大学生の頃でした。目の見える女性Sさんと知り合い、彼女が愛知県美術館で開催されていた「レオナルド・ダ・ヴィンチ人体解剖図展」を見たいと言ったことがきっかけでした。Sさんは言葉を使って展示内容を説明し、白鳥さんは初めて足を踏み入れた美術館、初めて「見た」アート作品に胸を躍らせたのです。

「それまで絵とか全然興味なかったんだけど、全盲の自分でも絵を楽しんだりできるのかなって思って。それに、盲人が美術館に行くなんて、なんか盲人らしくない行動で、面白いなって」

こうして白鳥さんの美術館巡りが始まりました。最初は美術館に電話をかけ、全盲であることを伝えて案内をお願いしていましたが、90年代半ばの当時は、全盲の人が美術鑑賞することは想定外で、多くの美術館は戸惑いの声を返すだけでした。

そんな中、茨城県の水戸芸術館が白鳥さんを快く受け入れてくれました。1997年春に開催されていた「水戸アニュアル’97 しなやかな共生」という展覧会で、白鳥さんは初めて現代美術に触れることになります。キューバの現代美術家の作品では、展示室に銀色の包み紙のキャンディが敷き詰められていて、実際に食べることができました。意味はわからなくても、作品が自分に語りかけてくる感覚に魅了され、白鳥さんは各地で現代美術を積極的に見に行くようになったのです。

「耳」で見るアートの世界

白鳥さんがアートを「見る」方法は、周りの人との会話を通じてです。美術館で出会う人々が作品について語る言葉を聞き、その言葉から作品のイメージを膨らませていきます。これは単なる説明ではなく、一種の対話型鑑賞と呼ばれる方法に近いものでした。

水戸芸術館では、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が提唱する対話型鑑賞メソッドを取り入れていました。驚くべきことに、白鳥さんが自然に行っていた鑑賞方法がこのMoMAのメソッドに酷似していたのです。作品の簡単な描写の積み重ねから鑑賞に入り、参加者による解釈や意見をひとつにまとめることはせず、答えが出ないもの、矛盾があるものについても、その場でシェアしつつも、無理に答えをひとつに統一しないという自由な鑑賞スタイルでした。

白鳥さんと一緒に美術館に行くと、普段なら「面白かったね」、「そうだね」程度の会話で終わるところが、とにかく会話が弾みます。時には他の鑑賞者に「うるさい」と叱られるほどに。目の見えない人が傍にいることで、見える人の目の解像度が上がり、自然と多くの会話が生まれるのです。

「目の見えないひとが隣にいることで、普段使っている脳の取捨選択センサーがオフになると、視点は作品を自由にさまよい、細やかなディテールにまで目が留まるようになる。すると、今まで見えていなかったものが急に見えてくる」

白鳥さんは「耳」でアートを見ているのではなく、周りの人との会話を通じて、アートの世界を体験しているのです。それは単なる情報の受け取りではなく、互いの感覚や解釈を共有する豊かな体験となっています。

「見る」とはどういうことか

目ではなく脳の問題

私たちは「見る」という行為を当たり前のように行っていますが、実はその行為は非常に複雑です。目から入った光の情報は脳で処理され、意味のあるものとして認識されます。つまり、「見る」という行為は目だけの問題ではなく、脳の問題でもあるのです。

白鳥さんとの美術鑑賞を通じて、川内さんは「見る」ということの本質に気づかされます。私たちは目で見ているようで、実は脳で見ているのかもしれません。目の見える人でも、実際には見えているものの一部しか認識していないことが多いのです。

白鳥さんは言います。「見えない人が美術館に行くことに違和感を持つ人がいるけど、見えている人だって、実は見えていないものの方が圧倒的に多いんじゃないかな」

この言葉は、私たちが当たり前のように行っている「見る」という行為に疑問を投げかけます。私たちは本当に「見て」いるのでしょうか。あるいは、見たいものだけを選んで見ているのではないでしょうか。

白鳥さんとの会話を通じて、川内さんは自分が普段いかに多くのものを見落としているかに気づかされます。白鳥さんに作品を説明するために、より注意深く作品を観察するようになり、それまで気づかなかった細部や表現に目が留まるようになったのです。

過去の記憶と新しい発見

私たちが何かを「見る」とき、実は過去の記憶や経験が大きく影響しています。見たものを理解する時、私たちは過去にストックされた知識や経験を引き出しています。美術作品は歴史的背景をモチーフにしているものも多く、事前に情報を得ているだけで理解度が大きく変わることがあります。

白鳥さんは幼少期にわずかながら視力があったため、色や形の記憶があります。その記憶を頼りに、説明を聞きながらイメージを膨らませているのです。しかし、生まれつき全盲の人にとっては、色や形の概念自体が異なるかもしれません。

川内さんは白鳥さんとの会話を通じて、自分の「見る」という行為がいかに過去の経験や知識に依存しているかを実感します。そして、新しい視点で作品を見ることで、これまで気づかなかった発見があることに気づくのです。

白鳥さんとの美術鑑賞は、単に作品を見るだけでなく、「見る」という行為そのものを問い直す機会となりました。目で見るだけでなく、言葉で共有し、想像し、感じることで、より豊かな鑑賞体験が生まれるのです。

白鳥さんの独自の鑑賞法

自由な会話を通じたアート体験

白鳥さんのアート鑑賞の特徴は、自由な会話を通じて作品を体験することです。彼は美術館のガイドや友人たちと一緒に作品の前に立ち、彼らが見たものを言葉で表現するのを聞きます。しかし、それは単なる説明ではなく、対話なのです。

白鳥さんは説明を聞くだけでなく、質問をし、自分の考えを述べ、時には冗談を言います。そうした会話のキャッチボールを通じて、作品のイメージを膨らませていくのです。彼にとって重要なのは、作品の正確な情報よりも、その作品を前にした人々の反応や感情、そして自由に発言できる雰囲気なのです。

川内さんは白鳥さんとの美術鑑賞を通じて、自分自身の鑑賞方法も変わっていきました。以前は作品の歴史的背景や作者の意図を知ることに重点を置いていましたが、白鳥さんと一緒に鑑賞するうちに、自分の感覚や感情を大切にするようになったのです。

「白鳥さんと一緒に作品を見ていると、自然と会話が生まれ、その会話を通じて作品の新たな側面が見えてくる。それは一人では決して気づかなかったであろう発見だった」

この自由な会話を通じたアート体験は、美術館という場所を新たな交流の場に変えます。作品を前にして、それぞれが自由に感じたことを言葉にすることで、お互いの視点や感覚を共有し、より豊かな鑑賞体験が生まれるのです。

「わからなさ」を楽しむ姿勢

白鳥さんのもう一つの特徴は、「わからなさ」を楽しむ姿勢です。彼は作品の正確な情報や「正しい」解釈にこだわりません。むしろ、わからないことや解釈の違いを楽しんでいるのです。

白鳥さんは言います。「美術作品って、見える人にとっても完全にわかるものじゃないでしょう?だから、わからないことを楽しむのが美術鑑賞の醍醐味なんじゃないかな」

この姿勢は、美術鑑賞に対する新たな視点を提供します。私たちは往々にして、作品を「理解」しようとします。作者の意図や歴史的背景を知り、「正しい」解釈を得ようとするのです。しかし、白鳥さんは「わからなさ」こそが美術の魅力だと教えてくれます。

川内さんは白鳥さんとの美術鑑賞を通じて、自分自身も「わからなさ」を楽しむようになりました。完全に理解できなくても、感じたことや考えたことを大切にする姿勢を学んだのです。

「白鳥さんと一緒に作品を見ていると、わからないことを恥じるのではなく、むしろそれを出発点として会話が広がっていく。そこには新たな発見や喜びがあった」

この「わからなさ」を楽しむ姿勢は、美術鑑賞だけでなく、日常生活においても重要な視点かもしれません。すべてを理解し、コントロールしようとするのではなく、わからないことや予測できないことを受け入れ、それを楽しむ姿勢は、より豊かな人生を送るためのヒントとなるでしょう。

白鳥さんの人生と障害観

盲学校での経験

白鳥さんは2歳の頃に弱視と診断され、幼少期はいくらかの視力があったため、公立小学校に入学しました。しかし、視力は徐々に弱まり、小学校3年生で盲学校に転校することになります。盲学校での経験は、白鳥さんの人生に大きな影響を与えました。

盲学校では、点字や白杖の使い方など、視覚障害者として生きていくための基本的なスキルを学びました。しかし、それだけではなく、同じ障害を持つ仲間との出会いや、障害に対する社会の見方を知る機会にもなりました。

白鳥さんは盲学校での経験を振り返りながら、障害者として生きることの複雑さを語ります。一方では、障害を持つ仲間との連帯感や理解があり、もう一方では、社会から「特別」な存在として見られることへの違和感があったのです。

「盲学校にいると、みんな同じ障害を持っているから、それが当たり前の世界になる。でも、一歩外に出ると、自分が「特別」な存在として見られることに気づく。その落差が時々辛かった」

この経験は、白鳥さんの障害に対する考え方に大きな影響を与えました。彼は自分の障害を「特別」なものとして強調するのではなく、自分の個性の一部として受け入れる姿勢を持つようになったのです。

「障害者のあるべき姿」への疑問

白鳥さんは、社会が抱く「障害者のあるべき姿」に対して疑問を投げかけます。彼は障害者が「頑張っている」「勇気がある」「感動的」といったステレオタイプで語られることに違和感を持っているのです。

「僕が美術館に行くと、『すごいですね』『勇気がありますね』と言われることがある。でも、僕はただ好きなことをしているだけなんです。それを特別視されるのは、正直居心地が悪い」

白鳥さんは、障害者が「普通」に生きることを認めてほしいと願っています。特別視されたり、感動の対象にされたりするのではなく、一人の人間として尊重されることを望んでいるのです。

川内さんは白鳥さんとの交流を通じて、自分自身も障害者に対する見方を見直すようになりました。以前は無意識のうちに障害者を「特別」な存在として見ていたかもしれませんが、白鳥さんとの日常的な会話や美術鑑賞を通じて、彼が一人の個性豊かな人間であることを実感したのです。

「白鳥さんと過ごす時間が増えるにつれて、彼の障害よりも、彼の人柄や考え方、ユーモアのセンスに惹かれるようになった。障害は彼の一部ではあるけれど、彼自身ではない」

白鳥さんの障害観は、私たちに「普通」とは何か、「特別」とは何かを問いかけます。社会が作り出した「障害者のあるべき姿」というステレオタイプを超えて、一人ひとりの個性や多様性を認め合う社会の在り方を考えるきっかけとなるでしょう。

アートがもたらす新たな視点

見えない人と見ることで広がる世界

川内さんは白鳥さんとアートを見ることで、新たな世界が広がることを実感します。目の見えない人と一緒に美術鑑賞をするという一見矛盾した行為が、実は私たちの「見る」という行為を豊かにしてくれるのです。

白鳥さんと一緒に美術館に行くと、普段なら気づかない作品の細部や表現に目が留まるようになります。白鳥さんに作品を説明するために、より注意深く観察するようになるからです。それは単なる情報の伝達ではなく、自分自身の「見る」という行為を深める体験となります。

川内さんは言います。「白鳥さんと一緒に作品を見ていると、自分の目の解像度が上がるような感覚がある。普段なら見過ごしてしまうような細部や表現に気づくようになる」

また、白鳥さんとの美術鑑賞では、会話が重要な役割を果たします。同じ作品を見ても、人によって見え方や解釈が異なることが明らかになります。その違いを言葉にし、共有することで、作品の新たな側面が見えてくるのです。

「同じ絵を見ているのに、なぜここまで印象が異なるのか」という疑問が生まれ、それが「見る」ということの本質に迫る対話につながります。視覚とは「目」や視力の問題だと考えられがちですが、実際は脳の問題だということが、白鳥さんとの会話を通じて浮かび上がってくるのです。

白鳥さんとの美術鑑賞は、単に作品を見るだけでなく、人と人との交流や対話を通じて、新たな世界が広がる体験となっています。それは美術鑑賞の可能性を広げるだけでなく、私たちの「見る」という行為そのものを問い直す機会となるのです。

先入観を超えた本当の「見る」体験

白鳥さんとの美術鑑賞を通じて、川内さんは「見る」ということの本質に気づかされます。私たちは往々にして、先入観や固定観念に縛られて物事を見ています。しかし、白鳥さんとの対話を通じて、そうした先入観を超えた「見る」体験が可能になるのです。

白鳥さんは美術館のオフィシャルな解説や「正しい」知識にはあまり興味がありません。むしろ、「目の前にあるもの」という限られた情報の中で行われる筋書きのない会話に興味を持っています。作品の背景に精通している人の解説は「一直線に正解にたどり着いてしまってつまらない」と言うのです。

この姿勢は、私たちが美術鑑賞において陥りがちな「正しい解釈」を求める態度に疑問を投げかけます。白鳥さんは「ひとつの作品でもその解釈や見方にはいろんなものがあり、その余白こそがいい」と考えているのです。

川内さんは白鳥さんとの美術鑑賞を通じて、自分自身も先入観を手放し、より自由な「見る」体験を得るようになりました。作品に対する固定観念や「正しい」解釈を求める姿勢から解放され、より開かれた視点で作品と向き合うようになったのです。

「白鳥さんと一緒に作品を見ていると、自分の中の『こうあるべき』という思い込みが溶けていくような感覚がある。より自由に、より豊かに作品を体験できるようになる」

この先入観を超えた「見る」体験は、美術鑑賞だけでなく、日常生活においても重要な視点かもしれません。私たちは知らず知らずのうちに、様々な先入観や固定観念に縛られて物事を見ています。しかし、そうした先入観を手放し、より開かれた視点で世界と向き合うことで、新たな発見や喜びが生まれるかもしれないのです。

白鳥さんとの美術鑑賞は、そうした可能性を示唆する貴重な体験となっています。それは単に「見る」という行為を問い直すだけでなく、私たちの生き方そのものに新たな視点をもたらしてくれるのです。

感想・レビュー

川内有緒さんの「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」は、単なる美術鑑賞の記録ではなく、「見る」という行為の本質や、人と人とのコミュニケーションの可能性を探る深い旅の記録です。全盲の白鳥さんとの美術館巡りを通じて、著者自身の視点や価値観が変化していく様子が、丁寧な筆致で描かれています。

特に印象的だったのは、白鳥さんの「わからなさを楽しむ」姿勢です。私たちは往々にして、物事を「理解」しようとします。特に美術鑑賞においては、作品の「正しい」解釈や背景知識を得ることに重点を置きがちです。しかし、白鳥さんは「わからない」ことを出発点として、そこから自由な対話や想像が広がることを楽しんでいます。この姿勢は、美術鑑賞だけでなく、人生そのものに対する示唆に富んでいるように感じました。

また、本書を通じて、「障害」というものの捉え方も考えさせられました。白鳥さんは自分の障害を「特別」なものとして強調するのではなく、自分の個性の一部として自然に受け入れています。社会が作り出した「障害者のあるべき姿」というステレオタイプに疑問を投げかけ、一人の人間として尊重されることを望んでいる姿勢には、深く共感しました。

本書の魅力は、美術鑑賞という行為を通じて、より広い視点から人間の知覚や理解、コミュニケーションの可能性を探っている点にあります。白鳥さんとの対話や美術館巡りの様子が生き生きと描かれ、読者も一緒に旅をしているような感覚になります。

川内さんの文章は、難解な概念や思想も、日常の会話や具体的なエピソードを通じて、わかりやすく伝えてくれます。それでいて、決して単純化せず、問題の複雑さや奥深さも大切にしている点が素晴らしいと感じました。

本書を読んで、私自身も美術館に行く際の姿勢が変わりました。作品の「正しい」解釈を求めるのではなく、自分自身の感覚や感情を大切にし、他者との対話を通じて新たな視点を得る喜びを感じるようになりました。それは美術鑑賞だけでなく、日常生活においても、より豊かな体験につながっているように思います。

「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」は、美術や障害について考えたい人だけでなく、人間の知覚や理解、コミュニケーションの可能性に興味がある全ての人にお勧めしたい一冊です。読後には、世界を見る目が少し変わるかもしれません。

まとめ

「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」は、全盲の白鳥建二さんとの美術館巡りを通じて、「見る」という行為の本質や、人と人とのコミュニケーションの可能性を探る旅の記録です。白鳥さんは目が見えないにもかかわらず、独自の方法でアートを楽しんでいます。それは周りの人との会話を通じて作品のイメージを膨らませ、「わからなさ」を楽しむという自由な鑑賞スタイルです。

この本を通じて、私たちは「見る」という行為が単に目の問題ではなく、脳の問題であることに気づかされます。また、先入観や固定観念に縛られずに物事を見ることの大切さや、障害を「特別」なものとしてではなく、個性の一部として受け入れる姿勢についても考えさせられます。

白鳥さんから学ぶ「見る」ことの本質は、私たちの日常生活にも新たな視点をもたらしてくれるでしょう。それは単に美術鑑賞の方法だけでなく、人生そのものを豊かにする知恵となるはずです。

\忙しい方には聞く読書習慣

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この記事を書いた人

元書店員の読書好きの30代男性「ダルマ」です。好きなジャンルはミステリー小説とビジネス書。
このサイトを見て1冊でも「読んでみたい」「面白そう」という本でに出会えてもらえたら幸いです。

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