「リヴァイアサン」要約・ネタバレ・感想・レビュー(著:トマス・ホッブズ)

「リヴァイアサン」要約・ネタバレ・感想・レビュー(著:トマス・ホッブズ)
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1651年に出版された『リヴァイアサン』は、イングランドの哲学者トマス・ホッブズによる政治哲学の古典です。

イングランド内戦という混乱の時代に執筆されたこの作品は、国家と社会契約の理論を扱い、後の政治思想に多大な影響を与えました。

ホッブズは人間の本性を冷徹に分析し、「万人の万人に対する闘争」という自然状態から脱するために強力な国家(リヴァイアサン)が必要だと説きました。

目次

時代背景と執筆の意図

17世紀の危機

トマス・ホッブズが生きた17世紀は、ヨーロッパ全体が深刻な危機に直面していた時代でした。三十年戦争やイングランド内戦、経済の停滞、気候不順による凶作など、社会的な不安と混乱が頻発していました。特にイングランドでは、チャールズ1世と議会の対立が内戦へと発展し、最終的には国王の処刑という衝撃的な結末を迎えます。

ホッブズはこうした混乱の渦中で、1588年、スペインの無敵艦隊がイングランドに襲来した年に生まれました。そのため「恐怖と共に生まれた」と言われることもあります。彼は貴族の家庭教師を務めながら、大陸への亡命を余儀なくされるなど、時代の動乱を身をもって経験しました。

こうした社会の混乱と無秩序は、ホッブズの思想形成に決定的な影響を与えました。彼は目の前で繰り広げられる内戦や革命、権力闘争を通じて、人間社会の脆さと、強固な政治秩序の必要性を痛感したのです。『リヴァイアサン』は、そうした時代の混乱への回答として書かれました。

科学革命の影響

17世紀はまた、「科学革命」の時代でもありました。ガリレオやデカルト、ニュートンといった科学者たちが、従来の宗教的世界観に基づく学問ではなく、観察と実験に基づく新しい科学の方法論を確立していった時期です。

ホッブズはこの科学革命の影響を強く受けました。彼はガリレオに会い、デカルトとも文通するなど、当時の最先端の科学的思考に触れていました。そして、その機械論的な世界観を政治哲学に応用しようと試みたのです。

『リヴァイアサン』の中で、ホッブズは国家を「人工的人間」として描写しています。国家の主権は魂に、役人たちは関節に、賞罰は神経に、個々人の富と財産は力に対応すると説明しています。このように、社会や国家を一種の機械として捉える視点は、当時の科学革命の影響を色濃く反映しています。

イングランド内戦の混乱

ホッブズが『リヴァイアサン』を執筆した直接のきっかけとなったのは、イングランド内戦でした。1642年から1651年にかけて起こったこの内戦は、国王派と議会派の対立から始まり、最終的には国王チャールズ1世の処刑とクロムウェルによる共和制の樹立へと至りました。

ホッブズ自身は1640年、内戦の危険を感じてフランスへ亡命しています。そして亡命先のフランスで『リヴァイアサン』を執筆し、1651年に出版しました。この著作は、内戦という混乱を経験した彼が、いかにして社会の平和と秩序を維持すべきかを真剣に考え抜いた結果だったのです。

内戦の惨禍を目の当たりにしたホッブズは、人間が自然状態に戻れば互いに争い合う存在であると考えました。そして、そうした状態から脱するためには、強力な主権者の存在が不可欠だと主張したのです。

リヴァイアサンの基本概念

「人工的人間」としての国家

ホッブズは『リヴァイアサン』の中で、国家を「人工的人間」として描写しています。これは単なる比喩ではなく、当時の機械論的世界観に基づいた国家理解の表明でした。

国家という「人工的人間」において、主権は魂に相当し、生命と運動を与える役割を担います。為政者や役人たちは体の関節のように機能し、賞罰は神経のように情報を伝達します。個々人の富と財産は力となり、顧問官は記憶として働きます。公平と法は人間の理性と意志に対応し、和合は健康、騒擾は病気、内乱は死に例えられます。

このように国家を一種の機械として捉える視点は、当時としては革新的でした。それまでの国家観が神学的な基盤に立脚していたのに対し、ホッブズは世俗的・機械論的な観点から国家を理解しようとしたのです。

国家を「人工的人間」と見なすことで、ホッブズは国家が人間によって創造されたものであり、その目的は人間の安全と平和を確保することにあると主張しました。つまり、国家は神から与えられた自然な存在ではなく、人間が自らの必要から作り出した「人工物」なのです。

機械論的世界観

ホッブズの思想の基盤となっているのは、徹底した機械論的世界観です。彼によれば、世界はすべて物体とその運動によって説明できるものでした。人間も例外ではなく、一種の「自動機械」として捉えられます。

人間の知覚、感情、行動も機械的に説明されます。外物の運動が感覚器官に圧力を加え、それが生理的に脳に伝えられ、記憶が形成され、判断や推理の作用が生じるというわけです。快の感情は生活力が増大する傾向にあるときに生じ、不快の感情はその逆の場合に生じるとホッブズは考えました。

この機械論的人間観に基づいて、ホッブズは人間の本性を分析していきます。そこから導き出されるのが「自己保存」の原理です。人間は何よりもまず自分の命を守ろうとする存在であり、この自己保存の欲求が人間行動の根本的な動機となるのです。

機械論的世界観は、当時の科学革命の影響を強く受けたものでした。ホッブズはこの新しい世界観を政治哲学に応用することで、従来の神学的・形而上学的な政治理論とは一線を画す、近代的な政治思想を打ち立てようとしたのです。

表紙に描かれた怪物の意味

『リヴァイアサン』の初版本の表紙には、印象的な図版が描かれています。そこには巨人の姿をした怪物が描かれており、よく見るとその体は無数の人間からできています。この巨人は王冠を戴き、右手には剣を、左手には聖職者の持つ牧杖を持っています。

この図版は『リヴァイアサン』の核心を視覚的に表現したものです。リヴァイアサンとは旧約聖書に登場する海の怪獣の名前で、「地上には、彼と並ぶ力はなく、彼は何者をも恐れぬように作られた」と描写されています。ホッブズはこの強大な怪物のイメージを借りて、国家権力の絶対性を表現しました。

巨人の体が無数の人間からできているのは、国家が個々の人間の集合体であることを示しています。つまり、国家は人々が自らの権利を委譲することで成立する「人工的人間」なのです。

右手の剣は世俗的権力を、左手の牧杖は宗教的権力を象徴しています。ホッブズは国家が世俗的権力と宗教的権力の両方を掌握すべきだと考えていました。これは当時としては革新的な考え方であり、教会の権威に対する挑戦でもありました。

この表紙の図版は、『リヴァイアサン』の内容を象徴的に表現しており、ホッブズの国家観を一目で理解させる効果的なイメージとなっています。

人間本性論

欲望と自己保存

ホッブズの政治哲学の出発点は、人間本性についての冷徹な分析にあります。彼によれば、人間は基本的に欲望に従って行動する存在です。そして、その欲望の中でも最も根本的なものが「自己保存」の欲求です。

人間は何よりもまず自分の命を守ろうとします。この自己保存の欲求が人間行動の基本的な動機となるのです。ホッブズはこの自己保存の欲求を「自然権」として位置づけました。自然権とは、自分の命を守るためには何をしてもよいという権利です。

しかし、すべての人間が自己保存のために何でもしてよいとなると、必然的に衝突が生じます。限られた資源をめぐって争いが起こり、互いに相手を脅かす存在となるのです。これがホッブズの言う「自然状態」であり、「万人の万人に対する闘争」の状態です。

このように、ホッブズは人間の欲望、特に自己保存の欲求から出発して、社会の成り立ちを説明しようとしました。彼の人間観は決して楽観的なものではありませんが、現実の人間行動を冷静に分析した結果だったのです。

善悪の基準としての欲求

ホッブズは善悪の判断基準についても独自の見解を示しています。彼によれば、善悪の基準は客観的な道徳法則や神の意志ではなく、人間の欲求にあります。

「自分がしたいことが善であり、自分がしたくないことが悪である」というのがホッブズの基本的な考え方です。つまり、善悪は主観的なものであり、各人の欲求によって決まるのです。

この考え方は、当時の伝統的な道徳観とは大きく異なるものでした。伝統的には、善悪は神の意志や自然法則によって客観的に定められるものと考えられていました。しかしホッブズは、そうした超越的な基準を否定し、人間の欲求という心理的事実に善悪の基準を求めたのです。

ホッブズのこの主観的な善悪観は、近代的な価値相対主義の先駆けとも言えるものでした。それは従来の価値ヒエラルキーを転倒させ、身分制社会の打倒や社会の諸矛盾の解放につながる可能性を持っていました。

人間の平等性

ホッブズの人間観のもう一つの特徴は、人間の根本的な平等性を主張した点にあります。彼によれば、人間は心身の諸能力について生まれつき平等です。

もちろん、個々の能力には差があります。しかし、ホッブズが注目したのは、どんなに弱い人間でも、策略や集団で行動することによって、最も強い人間さえ殺すことができるという事実でした。つまり、生存競争においては誰もが勝者になる可能性を持っているのです。

この平等性こそが、「万人の万人に対する闘争」を引き起こす原因の一つでした。誰もが自分は勝てると思うからこそ、互いに争うのです。もし明らかな優劣関係があれば、弱者は最初から諦めるでしょう。しかし、平等であるがゆえに、誰もが自分の欲望を追求し、衝突が生じるのです。

ホッブズのこの平等観は、当時としては革新的なものでした。封建的な身分制社会が崩壊しつつあった17世紀において、人間の根本的な平等性を主張することは、新しい社会秩序の可能性を示唆するものだったのです。

自然状態論

「万人の万人に対する闘争」

ホッブズの政治哲学の中核をなす概念が「自然状態」です。自然状態とは、国家や法律が存在しない状態、つまり政治社会が形成される以前の人間の状態を指します。

ホッブズによれば、自然状態では「万人の万人に対する闘争」が繰り広げられます。すべての人間が自己保存のために争い合い、互いに脅かし合う状態です。彼はこの状態を「人間は人間に対して狼である」と表現しました。

なぜそのような闘争状態になるのでしょうか。ホッブズは三つの原因を挙げています。第一に競争です。限られた資源をめぐって人々は争います。第二に不信です。自分の安全を確保するために、先制攻撃を仕掛けることがあります。第三に名誉です。自分の評判を守るために争いが生じることがあります。

これらの原因によって、自然状態では常に戦争の危険が存在します。それは必ずしも実際の戦闘状態を意味するわけではなく、戦う意志と準備がある状態、つまり潜在的な戦争状態を指します。

戦争状態の恐怖

自然状態における「万人の万人に対する闘争」は、人間にとって極めて恐ろしい状況です。ホッブズはこの状態を次のように描写しています。

「このような戦争状態においては、勤労への意欲もない。その成果が確実でないからである。したがって、土地の耕作もなく、航海も行われず、海上輸入による商品も用いられず、便利な建物もなく、移動のための大きな力を要する物を動かす道具もなく、地表の知識もなく、時間の計算もなく、技術も文字もなく、社会もない。そして最悪なことに、絶え間ない恐怖と暴力による死の危険がある。そして人間の生活は、孤独で、貧しく、不潔で、残忍で、そして短い。」

このように、自然状態では文明的な生活はおろか、基本的な生存さえ危うい状況なのです。誰もが常に死の恐怖に怯え、安心して生活することができません。

ホッブズがこのような暗い自然状態を描いたのは、彼自身が内戦の混乱を経験したからでしょう。国家の秩序が崩壊したとき、人間社会がいかに悲惨な状況に陥るかを、彼は身をもって知っていたのです。

自然権とその矛盾

自然状態において、人間は「自然権」を持っています。自然権とは、自分の命を守るためには何をしてもよいという権利です。ホッブズによれば、これは人間の最も基本的な権利であり、誰もが生まれながらに持っているものです。

しかし、すべての人間が無制限の自然権を行使すれば、必然的に衝突が生じます。自分の生存のために他者を脅かせば、相手も自分の生存のために抵抗するでしょう。その結果、「万人の万人に対する闘争」という状態が生まれるのです。

ここに自然権の矛盾があります。自分の命を守るために自然権を行使するのに、その結果として命が危険にさらされるのです。自己保存を目的としているのに、その手段が目的を損なうという矛盾が生じるのです。

この矛盾を解決するために、ホッブズは「自然法」の概念を導入します。自然法とは、理性によって発見される行動規則であり、自己保存を実現するための方法を示すものです。自然法の第一は「平和を求めよ」というものです。つまり、自己保存のためには、闘争ではなく平和を追求すべきだというのです。

そして、平和を実現するためには、自然権の一部を放棄し、他者も同様に権利を放棄することが必要だとホッブズは考えました。これが社会契約の基礎となる考え方です。

社会契約説

自然法の発見

ホッブズによれば、自然状態の恐怖から脱出するための方法を教えてくれるのが「自然法」です。自然法とは、理性によって発見される行動規則であり、自己保存を実現するための方法を示すものです。

ホッブズは複数の自然法を挙げていますが、最も基本的なのは次の二つです。第一の自然法は「平和を求めよ」というものです。つまり、自己保存のためには、闘争ではなく平和を追求すべきだというのです。第二の自然法は「他者も同様に権利を放棄するならば、自分も自然権の一部を放棄せよ」というものです。

これらの自然法は、自然状態の恐怖から脱出するための理性的な方法を示しています。しかし、問題は、自然状態では誰もが自己保存に必死であり、他者を信頼することができないという点です。そのため、自然法に従うことは困難です。

この問題を解決するために、ホッブズは「社会契約」の概念を導入します。社会契約とは、すべての人が同時に自然権の一部を放棄し、強力な権力(主権者)を設立するという約束事です。

権利の委譲と主権者の誕生

社会契約によって、人々は自然権の一部を放棄し、それを主権者に委譲します。ただし、自己保存の権利そのものは放棄できないとホッブズは考えていました。なぜなら、自己保存は人間の最も根本的な欲求であり、それを放棄することは不可能だからです。

権利の委譲によって誕生する主権者は、絶対的な権力を持ちます。主権者は社会の秩序を維持し、人々の安全を確保する役割を担います。主権者の命令に従うことで、人々は自然状態の恐怖から解放され、平和な社会生活を送ることができるのです。

ホッブズによれば、主権者は社会契約の当事者ではありません。社会契約は人民同士の間で結ばれるものであり、主権者はその結果として生まれるものです。そのため、主権者は契約に拘束されず、絶対的な権力を持つことになります。

この点がホッブズの社会契約説の特徴であり、後のロックやルソーの社会契約説とは異なる点です。ロックやルソーは、主権者も契約に拘束されると考えましたが、ホッブズは主権者の絶対性を強調したのです。

リヴァイアサンの創造

社会契約によって誕生する国家を、ホッブズは「リヴァイアサン」と呼びました。リヴァイアサンとは旧約聖書に登場する海の怪獣の名前で、「地上には、彼と並ぶ力はなく、彼は何者をも恐れぬように作られた」と描写されています。

ホッブズはこの強大な怪物のイメージを借りて、国家権力の絶対性を表現しました。リヴァイアサンは人々の自然権を集約した存在であり、その力は絶大です。しかし、それは人々の安全と平和を確保するために必要な力なのです。

ホッブズは『リヴァイアサン』の冒頭で、国家を「人工的人間」として描写しています。国家の主権は魂に、役人たちは関節に、賞罰は神経に対応すると説明しています。このように、国家を一種の機械として捉える視点は、当時の科学革命の影響を色濃く反映しています。

リヴァイアサンの創造によって、人々は自然状態の恐怖から解放されます。しかし、その代償として、絶対的な服従が求められるのです。ホッブズにとって、この取引は十分に価値のあるものでした。なぜなら、自然状態の恐怖に比べれば、主権者への服従など小さな代償だと考えたからです。

ホッブズの国家論

絶対的権力の必要性

ホッブズは主権者の権力が絶対的であるべきだと主張しました。なぜなら、主権者の権力が制限されれば、社会は再び自然状態に逆戻りする危険があるからです。

主権者の絶対的権力には、法律の制定権、裁判権、戦争と平和の決定権、役人の任命権、言論の統制権などが含まれます。これらの権力は分割できないとホッブズは考えました。権力が分割されれば、その間に対立が生じ、社会の秩序が崩壊する恐れがあるからです。

ホッブズが絶対的権力を主張した背景には、イングランド内戦の経験がありました。国王と議会の権力闘争が内戦を引き起こし、社会の秩序が崩壊する様子を目の当たりにしたホッブズは、権力の分割が招く危険性を強く認識していたのです。

ただし、ホッブズの主張する絶対的権力は、必ずしも専制的な権力を意味するわけではありません。主権者の目的は人々の安全と平和を確保することであり、その目的に反する行為は主権者の役割を放棄することになります。

抵抗権の否定

ホッブズは基本的に臣民の抵抗権を否定しました。主権者に抵抗する権利を認めれば、社会契約の意味がなくなるからです。社会契約の目的は自然状態の闘争を終わらせることであり、抵抗権を認めれば再び闘争状態に戻ってしまいます。

ただし、一つだけ例外があります。それは自己保存の権利です。ホッブズによれば、自己保存の権利は放棄できない権利であり、主権者が臣民の生命を直接脅かす場合には、抵抗が許されるのです。

例えば、主権者が臣民を処刑しようとする場合、その臣民は抵抗することができます。また、主権者が臣民に自殺を命じた場合も、その命令に従う必要はありません。なぜなら、自己保存は人間の最も根本的な欲求であり、それに反する行為を強制することはできないからです。

このように、ホッブズは基本的に抵抗権を否定しながらも、自己保存という最低限の権利は認めていました。これは彼の理論の一貫性を示すものであり、人間の本性についての深い洞察に基づいています。

宗教と国家の関係

ホッブズは宗教と国家の関係についても独自の見解を示しています。彼によれば、宗教的権威も世俗的権威も、最終的には主権者に帰属すべきだというのです。

当時のヨーロッパでは、教会と国家の権力闘争が頻繁に起こっていました。この二重権力状態は社会の分裂と混乱を招く原因となっていました。ホッブズはこの問題を解決するために、宗教的権威も主権者に帰属させるべきだと主張したのです。

『リヴァイアサン』の中で、ホッブズは聖書の解釈権も主権者に属すると主張しています。これは当時としては非常に革新的な考え方であり、教会の権威に対する挑戦でもありました。

また、ホッブズは宗教的奇跡や啓示に対しても懐疑的な態度を示しています。彼は理性に基づく判断を重視し、迷信や盲信を批判しました。このような態度は、当時の宗教的権威にとっては受け入れがたいものでした。

実際、『リヴァイアサン』の出版後、ホッブズは無神論者として非難され、イングランドに帰国した後も宗教的迫害を受けることになります。しかし、彼の宗教観は近代的な政教分離の考え方の先駆けとなり、後の思想家たちに大きな影響を与えました。

感想・レビュー

現代社会への示唆

『リヴァイアサン』を読んで最も印象的だったのは、ホッブズの人間観の鋭さです。彼は人間を美化せず、その本性を冷徹に分析しました。自己保存の欲求に突き動かされる存在として人間を捉え、そこから政治理論を展開していったのです。

この視点は現代社会を考える上でも示唆に富んでいます。例えば、国際関係においては今なお「自然状態」に近い状況が続いています。国家間には世界政府のような絶対的権力が存在せず、各国は自国の利益を追求して行動します。その結果、紛争や対立が絶えないのです。

また、インターネット空間も一種の「自然状態」と言えるかもしれません。匿名性が保障され、規制が緩いサイバー空間では、時に攻撃的な言動が横行します。これはホッブズの言う「万人の万人に対する闘争」状態に似ています。

ホッブズの理論は、こうした問題に対しても一つの解決策を示唆しています。それは、共通のルールと、それを強制する権力の必要性です。もちろん、ホッブズの主張する絶対的権力をそのまま受け入れることはできませんが、一定の秩序と権威が必要だという点は現代でも変わらないでしょう。

機械論的人間観の限界

ホッブズの理論の魅力は、その明晰さと一貫性にあります。人間の本性から出発して、論理的に国家の必要性を導き出す手法は見事です。しかし、その機械論的人間観には限界もあります。

ホッブズは人間を自己保存の欲求に突き動かされる存在として描きましたが、人間の行動はそれだけでは説明できません。人間は時に自己犠牲的な行動をとることもあれば、芸術や学問のような実利的でない活動に情熱を注ぐこともあります。

また、ホッブズは人間の社会性を過小評価している面もあります。人間は生まれながらにして社会的な存在であり、他者との協力や共感の能力を持っています。そのため、必ずしも強制的な権力がなくても、一定の秩序が自発的に形成されることもあるのです。

さらに、ホッブズの理論では、文化や歴史の役割が軽視されています。人間の行動は生物学的な本性だけでなく、文化的・歴史的な文脈によっても大きく左右されます。この点を考慮しないと、人間社会の複雑さを十分に理解することはできないでしょう。

絶対主義と民主主義の間で

ホッブズは一般に絶対主義の擁護者として理解されていますが、実際にはもっと複雑な思想家です。確かに彼は主権者の絶対的権力を主張しましたが、それは単なる権力崇拝からではなく、平和と秩序を確保するための理論的必要性からでした。

また、ホッブズの社会契約説は、後の民主主義思想の発展にも影響を与えました。主権が人民の合意に基づくという考え方は、民主主義の基本原理と共通するものがあります。実際、ホッブズは主権者の形態として君主制だけでなく、貴族制や民主制も可能だと認めていました。

ホッブズの思想は、絶対主義と民主主義の間に位置するものと言えるでしょう。彼は一方で強力な権力の必要性を説きながら、他方でその権力の源泉を人民の合意に求めたのです。この二面性が、ホッブズの思想を単純な分類を拒む複雑なものにしています。

現代の視点から見れば、ホッブズの絶対主義的側面は受け入れがたいものかもしれません。しかし、彼の理論の根底にある問題意識—秩序と自由、権力と権利のバランスをどう取るか—は、今なお私たちが直面している課題です。その意味で、『リヴァイアサン』は単なる歴史的文書ではなく、現代にも語りかける古典なのです。

まとめ

『リヴァイアサン』は、17世紀の動乱期に書かれた政治哲学の古典です。ホッブズは人間の本性を冷徹に分析し、「万人の万人に対する闘争」という自然状態から脱するために、強力な国家(リヴァイアサン)が必要だと説きました。

彼の社会契約説は、後の政治思想に多大な影響を与えました。特に、国家の起源を神の意志ではなく人間の合意に求めた点は革新的でした。また、機械論的な世界観に基づいて国家を「人工的人間」として描いた点も、当時の科学革命の影響を示しています。

ホッブズの思想は絶対主義と民主主義の両面を持ち、単純な分類を拒む複雑なものです。彼の問いかける秩序と自由、権力と権利のバランスという問題は、現代社会においても重要な課題であり続けています。

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この記事を書いた人

元書店員の読書好きの30代男性「ダルマ」です。好きなジャンルはミステリー小説とビジネス書。
このサイトを見て1冊でも「読んでみたい」「面白そう」という本でに出会えてもらえたら幸いです。

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