ヤニス・バルファキスさんの「父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」は、経済学の専門用語を使わずに、10代の娘に向けて経済の本質を語りかける形式で書かれた世界的ベストセラーです。
25カ国で翻訳され、各国で絶賛されているこの本は、経済初心者にこそ読んでほしい一冊でした。
この本の概要と著者紹介
経済書というと難解な専門用語が並び、グラフや数式が散りばめられたものを想像しがちですが、本書はまったく違います。
この本は、十代の娘の
「なぜ、世の中にはこんなに格差があるの?」
というシンプルな質問から始まります。
その問いかけに対して、父親である著者が経済の仕組みを根本から説き明かしていくのです。
しかも、専門用語を極力使わず、誰もが理解できる言葉で。
世界25カ国で翻訳され、各国で絶賛されているこの本は、経済書としては異例の読みやすさと深い洞察で、多くの読者の心をつかんでいます。朝日新聞では「とんでもなくわかりやすいだけでなく、とんでもなくおもしろい」「知的好奇心を刺激するドラマチックな展開に、ぐいぐい引き込まれる」と評されるほどです。
ヤニス・バルファキスさんとは
著者のヤニス・バルファキスさんは、1961年3月24日にギリシャのアテネで生まれました。エセックス大学を卒業後、バーミンガム大学大学院、エセックス大学大学院で学び、博士号を取得しています。
2000年からアテネ大学の経済学教授を務め、2008年のサブプライムローン危機を予見したことで知られる左派系の経済学者です。2015年1月、ギリシャの総選挙で国会議員に当選し、深刻な財政危機にあったギリシャのチプラス政権で財務大臣に就任しました。
しかし、ギリシャ支援を巡り緊縮策の受け入れを迫るユーロ圏との関係が悪化し、同年7月に辞任しています。奇抜な言動やファッションから「ギリシャのブルース・ウィリス」などと呼ばれることもあったそうです。
実際に経済危機の最前線で闘った経験を持つバルファキスさんだからこそ、経済の本質を見抜き、わかりやすく伝えることができるのでしょう。
「資本主義」ではなく「市場社会」という視点
本書の特徴的な点のひとつは、「資本主義」という言葉をあえて使わないことです。バルファキスさんは代わりに「市場社会」という言葉を用いて、現代の経済システムを説明します。
これは単なる言葉遊びではありません。「資本主義」という言葉には、すでに多くの先入観やイデオロギー的な意味合いが付与されています。そうした先入観を取り払い、経済の仕組みをより純粋に理解するための工夫なのです。
「市場社会」という視点から見ると、私たちの社会の仕組みがより鮮明に見えてきます。人々が自分自身や自分の労働力までも「市場価格」で測るようになった現代社会の特徴が浮き彫りになるのです。
父から娘へ語りかける独特の語り口

専門用語を使わない親しみやすさ
経済書の多くは専門用語の羅列で、初心者には取っつきにくいものです。しかし本書は違います。バルファキスさんは、娘に語りかけるように、平易な言葉で経済の複雑な仕組みを説明します。
「資本主義」「GDP」「インフレーション」といった経済学の専門用語をほとんど使わず、誰もが理解できる言葉で本質を伝えようとする姿勢は、読者を経済の世界に自然と引き込みます。
例えば、経済の基本的な仕組みを説明する際も、「市場」「価値」「交換」といった基本的な概念から丁寧に積み上げていきます。そのため、経済学の予備知識がなくても、すんなりと理解できるのです。
この親しみやすさは、バルファキスさんが本当に自分の娘に向けて語りかけるつもりで書いたからこそ実現したものでしょう。
映画や文学作品を引用した説明手法
本書のもう一つの特徴は、経済の概念を説明するために、映画や文学作品、ギリシャ神話などを巧みに引用している点です。
例えば、「マトリックス」や「ブレードランナー」といったSF映画を引き合いに出して現代の経済システムを説明したり、ゲーテの「ファウスト」やディケンズの「クリスマス・キャロル」の登場人物を通して人間と経済の関係を考察したりします。
こうした文化的な参照は、抽象的な経済の概念を具体的なイメージに変換する助けとなります。読者は馴染みのある物語を通して、経済の複雑な仕組みを理解することができるのです。
また、ギリシャ人である著者ならではのギリシャ神話の引用も随所に見られ、古代から現代まで一貫した人間の営みとして経済を捉える視点を提供しています。
真摯な本音のメッセージ性
バルファキスさんは、単に経済の仕組みを説明するだけでなく、現代の経済システムが抱える問題点や、それに対する自身の考えも率直に述べています。
例えば
なぜ彼が経済学者になったのかについて、「経済を学者にはまかせておけないと思ったからだ。経済理論や数学を学べば学ぶほど、一流大学の専門家やテレビの経済評論家や銀行家や財務官僚がまったく見当はずれだってことがわかってきた」と述べています。
また、現代の経済学について「経済学は『公式のある神学』」と評し、数理モデルに頼りすぎる現代経済学の限界を指摘しています。
こうした真摯な本音のメッセージは、読者に「考える」ことを促します。バルファキスさんは答えを押し付けるのではなく、読者自身が経済について考え、自分なりの結論を導き出すことを期待しているのです。
経済の本質をわかりやすく解き明かす
借金と市場社会の関係性
本書で特に印象的なのは、「すべての富は『借金』から生まれる」という指摘です。一見すると逆説的に聞こえるこの考え方は、実は経済の根本を突いています。
バルファキスさんは、現代の経済システムにおいて、銀行が「信用創造」という形でお金を生み出し、それが社会に富をもたらす仕組みを説明します。私たちが当たり前のように使っているお金は、実は「借金」の上に成り立っているのです。
また、国家の債務についても独自の視点を提供しています。国の借金は必ずしも悪いものではなく、適切に管理されれば経済成長の原動力になりうることを、歴史的な例を交えながら説明しています。
この「借金」と「富」の関係性の解説は、現代の金融システムを理解する上で非常に重要な視点を提供してくれます。
ファウストとスクルージの対比
バルファキスさんは、ゲーテの「ファウスト」とディケンズの「クリスマス・キャロル」の主人公を対比させながら、経済と人間の関係について考察します。
メフィストフェレスと契約を交わし、魂と引き換えに欲望を満たそうとするファウストと、守銭奴から改心するスクルージ。この二人の物語を通して、市場社会における人間の在り方を問いかけるのです。
ファウストは際限のない欲望の追求により自己を見失い、スクルージは金銭至上主義から脱却して人間性を取り戻します。この対比は、現代の市場社会で私たちがどのように生きるべきかという問いにつながります。
文学作品を通して経済の本質を語るこのアプローチは、単なる経済の解説書を超えた深みを本書にもたらしています。
経済が人間の魂に与える影響
バルファキスさんは、経済を単なる数字やシステムの問題としてではなく、人間の魂に関わる問題として捉えています。
市場社会では、人々は自分自身や他者の価値を「市場価格」で測るようになります。労働力も商品として売買され、人間関係までもが取引の対象となる。そうした社会で、私たちは何を失い、何を得ているのでしょうか。
本書では、経済システムが人間の内面性や社会の在り方にどのような影響を与えるかについても深く考察されています。それは単なる経済の問題を超えて、哲学的な問いかけにもなっているのです。



